Wednesday, December 30, 2009

50日目

引き続きリハビリ中。

原宿お出かけから一日おいて、本日は吉祥寺の街に買い物に繰り出した。途中2度の休憩を挟んで、正味3時間。こんなに長い時間歩き回るのは初めてのこと。でもまだ食欲は以前のようには湧いてこない。口寂しくなるので、甘いものや果物はちょくちょく食べているけれど。

仕事の再開時期と復帰の仕方はまだ決めていない。初めは半日ずつでもいいからと言われているので、いきなり全面復活ではなく、早めに少しずつ出勤して慣らしていく方向で検討中だ。お正月が開けたら、挨拶がてら一度職場に行ってみようと思っている。

今日は無印でプラスチックの化粧箱を買ってきた。病院では皆、看護師さんお手製の薬箱に薬の袋を立てて保管していたのでその代用品として。お年寄りには、結核以外の朝昼晩の薬も入れておくことができるように、3つの小さなポケット箱が付いたカラフルな薬箱になっていた。便利だからと鼻歌さんは家に貰っていったそうだ。鼻歌さん、一人暮らしだけど、間違えずにちゃんと飲んでいるかなー。

Monday, December 28, 2009

48日目

少しずつリハビリ中。

昨日は午前中の暖かな時間に、連れ合いと一緒に近所のスーパーまで歩いてお買い物に行ってきた。退院1日目なので、午後は溜まっていたビデオを観て、ほとんど部屋から動かずに過ごす。

今日は朝食とDOT(S)ののちベッドにUターン。午前中しっかり寝てエネルギーをためておき、午後から原宿までシルク・ドゥ・ソレイユ「コルテオ」を観に出かけた。

久々の電車とものすごい人混みだったけれど、日々のお茶会の成果もあってか、あまり疲れは感じなかった。表参道のイルミネーションも思いがけず見れて大満足。念のため夕食だけ買ってまっすぐ帰宅。

夜風が強くて冷たかった。入院していた間に、すっかりマフラーと手袋の季節になっていたことを、あらためて実感。

Saturday, December 26, 2009

46日目

朝食後、プライマリーナースさんと最後のDOT(S)を行い、精算をして白ベルトをハサミで切ってもらう。お世話になった皆さんにさよならをしてついに退院。
マクドナルドでコーヒーを買って久々の我が家へ。夕方まで自宅で大人しく過ごし、夜はSizzlerで快気祝いをしてもらった。夜の風にあたるのは入院以来初めてのことだ。

次回の再診は1月末。今後は毎朝、連れ合いに立ち会ってもらってDOT(S)を行い、保健所から送られてくるカレンダーに日々の内服を記録、定期的に記録を送付することになる。
ちなみに一人暮らしの場合は、近所の保健師さんや薬剤師さんにDOT(S)を行ってもらったり、空袋をとっておいて保健所でカウント、サインしてもらうなど、なんらかの形で第三者に内服終了まで見守ってもらえるよう病院や保健所であらかじめ相談して決めているようだ。
入院費用は600円だった。今後は毎月千円程度の薬代がかかるとのこと。

自宅に戻るとほんとに足が少し筋肉痛になっていた。ときどき時計を見ては、今ごろ食事前のお茶を注ぎに行っているなとか、ご飯食べ終わった頃だな・・などと、まだまだ病院のスケジュールで身体が回っている感じがする。

Friday, December 25, 2009

45日目


出ないと思っていたクリスマスケーキが、今日のお昼に出たー。これが結構美味で大好評。

本日はお富さんが元気に退院。続いて今度は別室から外国人の若い女性が移って来た。今は咽喉にチューブが入っているため話はできないが、日本人のご主人の話ではフィリピンの方だとか。明日はわたしの後にキムさんがB棟から移ってくる予定なので、いっきに国際色豊かな部屋に。

長かった入院生活もいよいよ今日で最後。入院からちょうど1ヶ月半というのは、フルコースタイプの中では、比較的短い期間で退院できるほうのようだ。自宅に持ち帰る薬をもらったり、いろんな書類にサインをしたり、荷物を片付けたりして、最終日はあわただしく過ぎた。薬は4種類のうち2種類をあと2週間ほど、残りの2種類は5月まで内服する。

もちろん最後のお茶会も楽しく終了。2ヵ月半いたワッキーさんも、ようやく来週前半の退院が決まった。キムさんは1月中旬、重症だったナミさんも2月には退院を予定している。キムさんが韓国から戻ってきたら、皆でご飯を食べにいくことになった。貴重な仲間なので(笑)

Thursday, December 24, 2009

44日目

3連続塗沫検査の結果がマイナスだったため、明後日退院と決まった。家に連絡し、職場にメールをし、お茶会の片付けなどをしていると、あっという間にクリスマスタイムに。

病棟の電気がいっせいに消され、クリスマスの音楽とともに、キャンドルを灯した看護師さんたちと、トナカイさん、サンタさんがやってきて、一人ひとりにメッセージカードとプレゼントを配ってくれた。

暗くてうまく写真が取れなかったけど、雰囲気だけね。


音楽が流れずもめるトナカイさんたち・・・と無力のサンタ先生。



















ろうそくを持って慎重に歩き回る看護師さんたち。
病室が一気に幻想的な雰囲気になりました。










皆さんも良い夜を♪

Wednesday, December 23, 2009

43日目

年末の届出は早めに提出するようにとのことだったので、一応年越しの外泊届けを出しておくことにした。今週の回診の時には先生はそろそろ退院を考えているとのことだったけれど、結局は塗沫検査の結果次第なので、あとどのくらい病院で暮らすのかはまだ白紙の状態。

どのみち普通の生活に戻るには、退院後2~3週間くらいはリハビリが必要だし、当分は無理をしない生活にしないといけないらしい。

昨日の冬至は夕食にカボチャが出た。今日は祝日なのでお赤飯。それなりに考えているのね。年越しには夜食が特別に出て、みかんとたい焼きが配られるらしい。クリスマスのケーキは出ないそうなので、お菓子のチョコケーキでお茶パーティかな。

Tuesday, December 22, 2009

42日目

ワッキーさんは今日は自宅にお泊り。ナミさんもいつも週末は車で迎えに来るボーイフレンドの家で過ごしている。顔見知りの男の子もこの間自宅に戻って髪を切って戻ってきていた。年末までに退院できないときは、わたしも年越しくらいは外泊届を出してみようかなと思っている。

外出・外泊には用紙の提出とドクターから許可が必要だ。門限は20時。今のところ門限を破るような人をわたしは知らないけれど、無断外出や外泊も結構あるそうだ。
他にもルール破りがいろいろ起こるらしく、先日もA棟でベッドの下にお酒の空き瓶を隠していた人がいて、看護師さんに思いっきり怒られていたらしい。

二日ぶりでキムさんと話をする。昨日はたくさん泣いて目が腫れたとのこと。でもこうしてお菓子をつまみながら皆で話をしていると「時間が早く進んでいいデスネ~」と嬉しそうだ。だいぶ元気が戻ったようで良かった。

年末に向けて、今週は祭日を挟み3日連続で塗沫(とまつ)検査を行っている。最近は咳がほとんどなくなっているため、痰を出すのも一苦労になってきた。さてどんな結果になるかな~。

Monday, December 21, 2009

41日目

身支度を整えて朝からスタンバること数時間、午後2時になってようやく気管支鏡検査の順番が回ってきた。前回とは病院が違うため、麻酔の薬や使用する機器のタイプが異なり、今日使った麻酔スプレーが大きかったので、途中で何度かおえっと戻してしまった。
検査自体は、咳き込むことも息が吸えずにパニックに陥ることもなく、あっという間に終了。心配されていた気管支狭窄は現時点では起こっておらず、順調に回復して気管支もだいぶきれいになっているとのことだった。

結構強い安定剤を打ったために、車椅子で部屋に戻ったときはまだ朦朧としている真っ最中。「ただいま~」と頑張って口を開いてみたけれど、咽喉の麻酔が掛かかっているのでヨーデルみたいな声になる。「どうだった~?」と聞かれるも、回答不能。そのままベッドに転がり、しばらく夢の中へどぼん。夕方ようやく正気を取り戻し、うがいもそこそこに、半日分の栄養を摂るべく、残しておいてもらった昼食を平らげた。

そんな訳で今日はお茶会どころではなかったのだけれど、参加してきたワッキーさんたちの話によると、キムさんのところに保健所と通訳の人が来て、結核治療期間分のビザの延長が認められないため、退院したら自国に戻って向うの病院で薬を処方してもらうようにと言われ、おまけに今日の痰検査の結果がプラスマイナスだったために退院が先になる見込みで、ますます帰国まで日数が無くなってしまうと、すっかり取り乱していたとのことだった。
なんでも韓国では結核に対する印象がとても悪く、感染者は周囲から偏見の目で見られ、すでに治っていても病歴に記入すると就職にも差し障るとのことで、日本とはだいぶ事情が異なるようなのだ。一人の人からの情報なのでなんとも言えないけれど、このあたりのお国事情は多分にありそう。気の毒に。

お富さんが今週末に退院、ワッキーさんも来週前半に退院見込みとなった。二人とも痰検査ではどうしてもプラスが出てしまうため、培養検査で4週マイナスであれば退院という判断基準のほうで退院日を決定することになったそう。

Sunday, December 20, 2009

40日目


コーヒーの自販機に行ったついでに玄関の外に出てみた。この間よりも寒くなさそうなので、きょろきょろしながら敷地内を彷徨い、病院の裏側に回ってみる。写真は病室を裏側から撮ったところ。

敷地自体は広いけれど、別棟がいくつかあってぐるっと1周することは出来なさそうだった。建物に沿ってペタペタとスリッパで戻る。風が吹くとやっぱり寒さが厳しい。今度はダウンジャケットを持ってきてもらおう。それに靴もちゃんと履いてこよう。。


明日は朝一でお風呂に入り、朝食抜きで気管支鏡検査の順番待ちをする予定。大勢検査する人がいるそうなので、今夜はしっかり夕食を食べておいた。前回の検査のときは、夜に高熱が出たので、そうならないといいけれど。

Saturday, December 19, 2009

39日目

白ベルトになると4FのB棟エリア以外をマスクなしで歩いてよいため、A棟の女性陣は午後の安静時間のあとはロビーのソファでお茶会を毎日している。白ベルトだけれどベッドコントロールのためにまだB棟にいるキムさんも加わって、今日もお菓子をつまみながら暗くなるまでお喋り。

お茶会に参加するようになって少しずつお菓子を食べ始めたら、もう止まらない。ひとりでテレビを見ながらもついつい食べるようになってしまった。キムさんの体重増加も3キロを超えたそうなので気をつけなくちゃ。

先日騒いでいたお年寄が昨晩も大きな声で看護師さんを呼んでいた。寝入りばなだったし、一度経験済みなので今度は驚かなかったけれど、前回よほど叱られたのか、「もし助けていただけるのなら、助けてくださーい」とやけにへりくだった表現になっていたのがおかしかった。

今日は男性が3人退院したらしい。どうりで午前中は廊下が騒がしかった。きっとまたB棟からのベッドの移動もあるのだろうな。

Friday, December 18, 2009

38日目

入院生活が長いナミさんは朝と午後に1度ずつ、ばっちり着込んで敷地内の散歩に出かける。今朝は富士山がきれいだったと戻ってきたので、午後売店に行ったついでに、今日は風景写真でも撮って載せようかしらと、パーカーを羽織って玄関から数歩外に出てみるも、あまりの寒さにUターン。見た目よりもずっと寒いのね。

白ベルトになって日の浅いわたしは、何か1つ作業をするたびに横になりたくなる。習慣もあるかもしれないけれど、体力がずいぶん落ちていることを感じる。ワッキーさんも1ヶ月前と先週とでは、自宅へ戻ったときの疲労度が格段に違ったと言っていた。入院して2ヶ月が過ぎた今は宿泊をしてきても大丈夫だったけれど、1ヶ月前に外出したときは、2~3時間自宅で過ごしただけでぐったりとしてしまい、これでは仮に家に戻ることができても普通の生活をするのは難しいと思ったそうだ。

今飲んでいる薬のうち、2ヶ月間服用すれば終了するものもあり、薬の種類が減ると身体的にもだいぶ楽になるらしい。これから1ヶ月は無理をしないで少しずつ体力を取り戻していかなくては。外出しただけで筋肉痛にもなるそうなので、もう少し元気になったら歩くこともしないとね。

Wednesday, December 16, 2009

37日目

男性陣とはあまり交流が無いので最近になって入ってきた情報なのだけれど、B棟には8年も入居している人がいるそうだ。寝たきりではないそうなので、多分何度かすれ違ったことがある人なのだろうと思う。50メートルくらいしかない廊下といくつかの部屋があるだけのあの密閉された空間に、そんなに長いこと暮らしているなんて。

その方も耐性菌で、何年も効く薬が見つからなかった。ナミさんが飲み始めた薬も含めて、結核の新しい薬何種類かができたのは、ほんのここ2~3年のことらしいのだ。すでにA棟に移っている顔見知りの男性もやはり耐性菌で数ヶ月B棟に留まっていたとのこと。

まもなくクリスマスなので、ロビーで流しているクリスマスの音楽がお部屋にも聞こえてくる。前は雑音のない世界だったので、こんなことでもちょっと新鮮。
年末が押し迫ってきたせいか、皆の帰りたいコールが一段と増してきた。先生も看護師さんも言葉を選びつつ対応に苦慮している。帰りたいと訴えるほうも、訴えられるほうも、どちらも気の毒だ。

気管支鏡検査は月曜日に行うことになった。今度は気管の状態をチェックするだけの正味3分くらいの簡単な検査だそうだ。

36日目

「誰かーっ、誰か来てーっ」という叫び声で目が覚める。あたりはまだ暗い。耳をそばだてると、看護師さんっぽいパタパタ歩き回っている音がする。しばらくすると、さらに声が大きくなり、「誰か助けてーっ。死んじゃうよーっ」と言っている。さすがにどうしたものかと思っていると、まもなくご近所から叱りつけるような声がした。すると声のトーンが少し落ちて、「誰か助けてよう」みたいに遠慮がちになったので、死にそうってほどじゃないみたいだなと思っていると、6時になって採血をする看護婦さんがガタガタとワゴンを揺らして部屋にやってきた。

電気がついて、ちくっと針を刺されてはっきり目が覚める。遠くのほうから看護師さんの長々とお説教している声が聞こえる。病室のドアが全部開放されているので、B棟では何重もの扉の向こう側に位置していた寝たきりのお年寄りの個室部屋の音が、こちらの廊下のほうまでよく響いてくるのだ。「初めての夜なのにびっくりしたでしょう」とワッキーさんたちが言う。以前にもひとり大騒ぎをする人がいたらしく、皆は結構慣れっこになっているらしい。

3回目の痰の検査の結果は「プラスマイナス」だった。惜しい。出ている菌は微量なので、まあまた来週検査をやって検討しましょうということに。しかしそうやってもう少しもう少しといっているうちに、ワッキーさんやお富さんはA棟に2ヶ月近くも留まることになってしまった。

結核菌はしつこい。しつこいので半年薬を飲み終えても、まだ完全には退治できていない場合もあるらしい。特に6ヶ月薬を飲み終えた後の半年間に再発する可能性が高いそうで、期間中に何度か薬を飲み損なってしまったり、もう大丈夫と少し早めに内服を切り上げたりすると再発のリスクも高まるそうだ。

Monday, December 14, 2009

35日目

朝の回診時に気管支鏡検査を行うことを告げられる。またあれをやるのかと思うと気が重い。
看護師さんが午前中に来て「話聞いてる?」というので、ええ、もうやるんですかと言ったら、お部屋の移動だった。聞いてません~。荷物をすべてベッドに載せて、キムさんたちにさよならをしてA棟へ。ちなみに気管支鏡検査は曜日が決まっているらしいので今週後半か来週前半のどちらかあたりになりそう。

同じお部屋になった3人の女性のうち2名はすでに顔見知りだ。
ひとりはわたしとおなじ気管支結核で入院した元気な主婦のワッキーさんで、B棟ではジャッキーさんと同室だった人。5歳と9歳のお子さんがいて、昨日から1泊で外泊中。
もうひとりは例のB棟に9ヶ月もいたという若いナミさん。点滴を2日に1回しなくてはならないため退院は2月になる予定だ。入院期間が長くなるということで、借りていた家はとうに引き払ってしまったため、退院するときは家探しから始めないといけないという。
初めてお目にかかった3人目の方は70歳くらいのお富さんで、彼女もB棟ではジャッキーさんと同じ部屋だった。

ワッキーさんもお富さんも、A棟に移ってからもう2ヶ月近くになるらしい。なかなか痰がマイナスにならずまだ退院できずにいるとのことだった。もう人にうつす可能性はほとんどないそうで、先生たちも年末が近いから、そろそろ帰宅させてあげようかという話にはなっているらしい。

そんなわけで、ついに念願のA棟暮らしになったわけだけど、B棟と比べるとこちらはずいぶん古くてキタナイ。各部屋のドアはすべて開け放してあって、ドアの前に目隠しのカーテンが下がっているだけなので、廊下の音が筒抜け。ホールとの間のガラスの自動ドアも開けっ放し。こちらは気圧コントロールをしていないようで、そういえばB棟では常に聞こえていた空調の音がしない。B棟にいた顔見知りの人もいるし、今までお目にかかったことの無い方々もいる。新参者なのでしばらく様子見。

Sunday, December 13, 2009

34日目

2回目の痰の検査もマイナスになった。むぷぷ。発疹や発熱に負けずに頑張った甲斐があったわ。

しかし入院予定の2ヶ月にはまだ遠く及ばないので、3回目の検査でプラスになっても落ち込まないようにねと言われる。先生的には最低でも1ヵ月半くらいは病院で拉致しておきたいらしい。

今日も1Fに下りてみた。この間のような気が遠くなる感じは無かったので、売店からちょっと足を伸ばしてコーヒーも買って、余裕で部屋に戻る。

A棟の女性陣と立ち話。今日ついに鼻歌さんが退院となったそうだ。B棟に新しい入居者は毎日のように入ってきているけれど、男性ばかり。やっぱり女性は少ない。

Saturday, December 12, 2009

33日目

オグラさんが発熱しているので、キムさんは日本語の勉強。わたしは読書やビデオなど観て静かに過ごす。
今日の外は風が強くて寒いと看護師さんが教えてくれた。風景だけ見ていると分からないけれど、入院したときと比べてずいぶん寒くなっているのだろうな。
今日の日中のお部屋担当は男性の看護師さんだった。最近は増えてきていると聞くけれど、実際に担当してもらうのは初めて。ここなどは男性の入院患者が特に多いし、そのほうがよいこともあるのかも。

Friday, December 11, 2009

32日目

3度3度のがっつりご飯に辟易しているために、お菓子をもらったり買ったりしてもたまっていくばかりで一向に無くならない。美味しく食べられるのは一日にほんの少しの果物程度。いい加減在庫を消化しなくちゃと、差し入れのお菓子を食べてみたけれど、ちょっと油っぽかったので半分食べたところでギブアップ。いまいち美味しくない。薬のせいもあるのかな。

なんとなくまだ歩き回る気にならないので、今日もベッドで一日を過ごす。でもちゃんと安静にしているせいか、日々咳がぐっと減ってきてるのが嬉しい。皆一様に、いつ退院できるか、どうなれば退院できるのかという話をしているけれど、わたしはあまり気にならなくなった。別に特別早くなくてもいいから、しっかり治して退院できればいいっかなー、と思う今日このごろ。

31日目

今朝は二度寝。ぼーっとしながら朝ごはんを食べて、また夢の中へ。起きたら昼食の10分前だった。外の気温が急に下がったせいかな。

フロアーはだいたい25度くらいに保たれているので、長袖の薄手のTシャツ1枚で深夜でも廊下を歩きまわれる。それでも今日のように外がとても寒い日は、若干全体の気温が下がるのかもしれない。

各部屋の掃除は毎日入るし、カーテンや寝具もこまめに取り替えられるなど、環境にはとても配慮された病院だと思う。エアコン口などの掃除も定期的にあるし、お掃除担当の方がフロアーに常時いて、どこかを常に掃除している状態なので、全体的に埃も少なく、トイレも匂わずとても快適だ。ちなみにここは、菌が外部に洩れないように各部屋と各エリアはそれぞれ少しずつ減圧になっているそうだ。

キムさんも午前中寝ていたらしく、お昼の掛け声でやっと起きてくる。ほんとに皆、食べては寝ての生活。でも適当に食べていればいいわたしたちはまだ良い。

オグラさんは糖尿病も持っているため、食事をちゃんと摂らなければならないのだが、運動不足と内服薬の影響とで食欲が落ちてしまった。いくら快適でも、これだけ生活エリアを制限されると、歩くことを日課にしている糖尿病の人には辛い環境だと思う。血糖値が下がると看護婦さんに、ちゃんとご飯を食べなきゃダメよと言われる。糖尿のお薬を飲んでいるので食べないと低血糖になってしまうのだそうだ。先生も来て、しばらくお薬を停めることになった。大変だなあ。

Wednesday, December 9, 2009

30日目

本日はレントゲン検査。前回は看護師さんの監視付だったけれど、もう白ベルトなので受診カードだけ渡されてひとりで何日ぶりかの1Fへ。

午後なので1Fは比較的空いている。レントゲンを撮ってから、売店をウロウロ。ココナッツサブレとカフェオレを買った。慣れない空間の広がりと4Fでは感じられない人いきれになんとなく気が遠くなり、すぐに専用のエレベーターに乗って病室に戻る。

1Fと4Fは専用の直行エレベーターで繋がっていて、エレベーターの中にはでっかい空気清浄機?のようなものが設置されている。普通のエレベーターも一応止まるけれど、患者はマスクをかけて、専用エレベーターのほうに乗ることとされている。

入院してちょうど1ヶ月なのでレントゲン検査をしたのかな。
ちなみに今までの検査は以下のような感じ。

入院時:レントゲン、CT、採血、検痰、便、尿、心電図
1~3日:検痰、朝昼晩検温
8日目:採血
15日目:採血、検痰
22日目:採血、検痰
29日目:採血、検痰
30日目:レントゲン

22日目の検痰で初めて菌がマイナスになったとのことだった。テレビの撮影中に初めて聞いたので、先生が適当に台詞を作ったのかと思って、さっきのホントですか?とあとで聞き直したらホントとのこと。
でもお天気が悪かったり、掃除が入ったりすると、まだ咳き込むことがあるので、自覚症状的にはもう少しって感じかな。

Tuesday, December 8, 2009

29日目

白いリストベルトに変わった。
マスクして1Fにも行けるようになったのだけれど、今日はあまりお天気も良くないので、ひとまず目で見て楽しむだけに。


ビフォー












アフター













志村さんのあとに今度は60歳代といった感じの小柄な色黒の女性が入ってきた。寧々さんは退院。人がめまぐるしく変わる。

皆で寧々さんをBエリアの角までお見送りする。キムさんが「早くミンナ出て、病院カラッポ。ダレモイナクナル(のがいいよねえ)」と言う。「ほんとねえ、頑張りましょー」と言い合いながらぞろぞろ部屋に戻る。

新しい入居者オグラさんは、通院で内服治療をしていたが、2週間目に発疹と発熱が急に出て、内服を中止することになり、入院。一部を別の薬に切り替えることになった。新しい薬は2日に1回、筋肉注射で投与する。経口からの投与では効果が得られない薬なのだと思うけれど、ずっと注射を打ち続けなければならないというのも辛い。

Monday, December 7, 2009

28日目

懸案の「感受性が出た」らしい。回診のときにカルテに書いてあったようなのだけど、例によって慌しく告げられただけで、まだ白いリストベルトに変えてもらっていないので若干心もとない。

でも本日はテレビ局が入ったのでそれどころではなく、病棟は朝からばたばた。先生は台詞を噛むし、わたしは薬を飲んでむせるしで失敗の連続だったけれど、なんとかお昼過ぎに撮影終了。1月23日の夕方放送(BS朝日)だそうなのでおヒマでしたら見てみてね。

昨日は志村さんが退院していった。85歳だけれど、冴えてる面白いおばあさんだった。お元気で~。明日には寧々さんも退院になる予定。

Sunday, December 6, 2009

27日目

結核は贅沢病と言われる。贅沢病というと通風が思い浮かぶけれど、病気にかかってしまった後の治療が、昔はとにかく栄養を取って寝るだけの生活のためそう呼ばれていた。

薬が開発された今もそのあたりは変わっていないようで、食べて寝て食べて寝ての繰り返しだ。食事はできるだけ全部食べるようにといわれているし、毎食ごとの食べた割合も申告させられる。キムさんは「わたしのタイジュウ、2シュウカンで2キロフエマシタ・・」と嘆いている。

寧々さんが痰からも胃液からも菌を検出できなかったため、いったん退院になる見込みになった。周囲にうつさないようであれば、治療は通院でということらしい。

26日目

師走に入ったけれど週末の病院は特に変わりない。このところ年末なので懇親会などのお誘いメールをいただくけれど、「結核なもんで・・」と戻すと大変驚かれるくらいだ。

ジャッキーさんたちA棟組の女性陣と、共有スペースで遭遇したのでしばらく立ち話をする。

ジャッキーさんは来週水曜日に退院するそうだ。ジャッキーさんと一緒にいた女性は、わたしのベッドの前の住人で、入院後2週間で感受性が出て、ジャッキーさんを追い越して早々にA棟に移ったのだけれど、その後、痰の菌がマイナスにならず、あとから移って来たジャッキーさんのほうが先に退院になった。ちなみに鼻歌さんはまだ。
「B棟は一日が長いでしょう、早くA棟においで~」と言われる。はい、行きたいです。

彼女の同室には、B棟に9ヶ月いた若い女性がいて、その人は重症患者として他の病院から移ってきた人なのだそうだ。そもそも病院を訪れたのが遅かったことが重症化の原因なのだけれど、転院後B棟から移るのに9ヶ月もかかってしまったのは、耐性菌だったことによるそう。

感染した菌によっては、薬の効かない耐性結核菌の場合がある。結核研究所などで、そうした薬への耐性を持つ菌への新薬を開発しているそうなのだが、たまたま作られていた新薬が彼女の菌に効くことが分かって、ようやく白いリストバンドに変わり、近ごろA棟に移ったとのことだった。

わたしも症状的には良くなっている気がするけれど、感受性が出るまでは耐性菌かどうかははっきりしないので怖い。4種飲んでいるうちのすべての薬に対して感受性が出ないと完全には結核菌を退治することができないそうで、他は効いているのだが1つだけが合わないという場合もあるということだった。

Thursday, December 3, 2009

25日目

昨夜も寝つきが悪かったので、今日の午前中は熟睡してしまった。
午後はばっちり目が冴えていたので、お風呂タイムまで天井を見ながら、皆であーでもないこーでもないと話をして過ごす。

それぞれのエリアはカーテンでぐるりと仕切ってあって、いつも皆はカーテン越しに声だけで会話をしている。自分的にはそのほうが落ち着くというのもあるけれど、歩いてみるとどの部屋もそうなので、病気が病気だけに、カーテンで空間を仕切るほうがなんとなく良いような気が、皆もするのかもしれない。

志村さんの退院日が来週の月曜日になった。A棟への移動前に退院日が決まったので、リストベルトもブルーのままだ。ただし今後半年近く結核の薬を内服しなければならないので、自宅でもDOT(S)を行うよう、退院時には家族に来てもらってドクターと一緒にミーティングを行うとのことだった。

Wednesday, December 2, 2009

24日目

若い頃結核にかかると、高齢になったり病気をして抵抗力が落ちると再発する場合があり、志村さんもそのケースにあたるらしい。抵抗力が落ちたために少しだけ菌が出てきた状態だったので比較的症状が軽く、A棟に移る前に近々退院できる見込みだそうだ。

キムさんは自国で看護師さんをしていて、寧々さんも介護の仕事を週4日パートでしていた。もちろんはっきりした根拠はないけれど、どちらも勤務中に感染者と接触する機会はありそうな感じがする。

患者の保菌率によっても多少変わるかもしれないけれど、保健所では患者と「定期的に一定の至近距離や密閉されている空間で合計7時間以上接していた人」は追跡調査の対象になるといっていた。よほど運が悪くない限りは、すれ違った程度で感染するものではなく、ある程度濃密な接触を行うことで感染するものらしい。

業種によってはもっとシビアに対策しなければならないものも結構あるのかもしれない。保健所でもおそらく感染源と思われる先には警告を行うのだろうけれど。普通のマスクでは防げないもののため、ちゃんとしたルールみたいなものを設けないと徹底するのは難しいのだろうな。

Tuesday, December 1, 2009

23日目

新しく入ってきた主婦の寧々さんは大人しくてすごく丁寧な人だ。「・・してくださいましてありがとうございます」と深々とお辞儀をする。この病院ではまだ菌が検出されていないために治療が開始されておらず、いまだにどうなるのか不安な状態が続いている。

入院となったとき「途方に暮れるとはこういうことをいうのか」としみじみ思ったそうである。咳が続いていたわけでもない寧々さんの場合は、急なことだったし、子供もいるのにご主人は出張中だしで、途方に暮れるのはもっともなことだと思う。「現実を受け入れられない自分が情けないです」と言うので、「そんなこと無い。それが普通よ」と皆で励ます。

キムさんも初めは怖くて言葉も分からないし、ひとり病室で泣いていたという。志村さんは別の病気で入院、快復して退院後10日経ってから、菌が検出されたのでもう一度入院してくださいと連絡がきた。リターンズとなって結核病棟に入ってきたという珍しいパターンだ。

わたしは診断がつくまで数ヶ月かかったために逆にはっきりして安堵した部分もあったような気がする。来週テレビの取材が入ってインタビューされるそうなので、少し頭を整理しておこう。

今日は午前中にお風呂に入ったり、何人か保健師さんが来たり、検査があったりでちょっとバタついた一日だった。調子がいいので仕事も少ししてみた。

Monday, November 30, 2009

22日目

白いリストベルトになることを「感受性が出る」と先生方は呼んでいる。感受性は薬剤感受性のことで、わたしたちには聞きなれない使い方だが、結核菌に薬が有効かどうかを表現する言葉として用いられている。

感受性のあるなしは培養試験を行って調べる。感受性がある=有効であると分かると、この病院では患者のリストベルトが白いものに変更になる。この人は内服薬が効いてるので、あと少し飲み続ければ退院できる見込みですよという印だ。

薬が効いているのかどうかは、いちいち痰をとって調べると思っていたのだけれど、そうではなくて治療開始時に採取した痰を使って、感受性が出るまで培養し続けるものらしい。
わたしが服用しているものと同じ4種類の薬を、採取した痰に使って菌の発育が止まるか、発育するかをみて、感受性を判断するのだそうだ。

入院してそろそろ3週間が経つけれど、わたしの場合はまだ「感受性が出ていない」。
先生の話では、感受性が出るまで2ヶ月かかった人もいたけれど、感受性が出た段階で、その人の場合に内服に必要だった2ヶ月を経過していたため、即日退院になったとのことだった。
もちろん、このまま感受性が出ないこともありうる。その場合は薬を変えていちから再開しなくてはならない。

21日目

A棟に空きがまた出て、ついにジャッキーさんがお引越しとなった。最初は怖かったけれど、今ではすっかり見慣れてしまったユニークな姿を皆で見送る。向うでまた会えるといいわねと手を振って、ジャッキーさんは飄々と歩いていった。

今日は男性部屋でも移動が何件かあり、ICUにも救急車でこれから人が運ばれてくるとかで、看護師さんたちが右往左往している。志村さんとキムさんと入り口で見物がてら立ち話をしていると、間もなく40歳くらいの女性が廊下の向こう側からわたしたちの部屋に移動させられてきた。

今度は中学生のお子さんがいる主婦の方で、血痰が出たのでびっくりして病院に行ったらあれよあれよという間に入院になってしまったとのこと。あいにくご主人が出張中で、お子さんの面倒を見てもらうために、今日は急遽実家のお母さんに来てもらうことにしたとのことだった。どこの家も大変だ。

気がついたら部屋で一番の古株になってしまったので、新しい方にお風呂やその他もろもろの説明をする。それからキムさんとコーヒーを飲みながら異文化交流をして過ごした。

ジャッキーさんはこの部屋に2ヶ月もいたそうなので、そうはならないようにしたいなあ。

Saturday, November 28, 2009

20日目

気がつくと、男性陣の顔ぶれが変わっていた。見たことのない若者が数人増えた様子。男性は女性と違って持ち物が少ないので、ベッドは動かさずに人だけ移動したのかもしれない。

ジャッキーさんが少しは身体を動かさなくちゃと、張り切って屋上に出かけていったが、風が冷たいとすぐに部屋に戻ってきた。ここでは本当にまったく歩かないので、外を歩けるようになって散歩でもしたら、たちまち筋肉痛になりそうだ。

運動不足のせいなのか、夜は足がぴりぴりと嫌な感じがしてなかなか寝付けない。手足が痺れるという薬の副作用もあるらしく、予防としてビタミン剤が出ているので、そのせいもあるのかもしれない。血の巡りを良くさせようと寝る前にヨガもどきの体操をしているけれど、眠りに落ちるまで結構時間がかかる。でも湿疹はすっかり良くなって跡形も無く消えた。

Friday, November 27, 2009

19日目

このところ、志村さんがお見舞いでもらったリンゴを、毎朝皆で分けあって食べている。蜜がたくさん入っていてすごく美味しい。今年はリンゴの当たり年?

朝ごはんがえらくまずかったので、キムさんからもらった韓国海苔を巻いて食べる。美味しーい。お礼にカフェラテをあげる。しかしご飯を食べてしまうと途端にやることがなくなって困る。

この病院では毎日午前と午後に2時間ずつ安静時間が設けられていて、ベッドで大人しく過ごす決まりになっている。特に午後は大量の薬を飲んだ直後なので全員が静かにベッドで寝ていて、トイレに行く以外は廊下を歩いている人はいない。安静時間の後は、たまっていたビデオを観て夕方まで過ごした。

鼻歌さんが、A棟でも相変わらず、廊下や食堂で話をしまくっていると、看護師さんから聞かされる。個室に入れられてしまったので、「ばーさん、さみしいだろうなあ。リンゴ剥いて食べられたんだろうか」と志村さんは心配そうだ。

18日目

ジャッキーさんに売店&お庭散策の許可が出る。ここまでが長い道のりだったジャッキーさんは嬉しげだ。
入院する際に名前などを書いたブルーのリストベルトを巻かれるのだけれど、排菌率が低くなるとこれが白いベルトに切り替わるらしい。ジャッキーさんも少し前から白いベルトに切り替わっていた。

飲み薬が効いたのか湿疹がだいぶひいてきた。本日も引き続き安静にして、肝臓を労わることに。日中、少し横になっておくと、夜寝つきは多少悪くても、咳もあまり出なくなるし、やっぱりそれなりにコンディションが違うように感じる。

そんなわけで午前中はトロトロと眠って過ごし、午後も薬を飲んでしばらく安静に。お風呂に入ってからようやくPCの電源を入れ、メッセンジャーでバックアップしてくれている同僚と少し仕事の話をする。

Wednesday, November 25, 2009

17日目

A棟に急に空きが出たとのことで、鼻歌さんが部屋を替わることになった。はい、じゃあ鼻歌さん、突然だけど今から引越ししますからね~と何の前触れも無く移動が始まる。耳の遠い鼻歌さんが、なあに?なあに?といっている間に、看護婦さんが棚の荷物を出してベッドの上に置き、ベッドごと荷物を運んでいった。残った荷物をまとめて、所在無げな鼻歌さんが続く。鼻歌さんは10日くらい前から、1Fの売店やお庭の散歩を許可されていたので、お部屋があればもっと早くからA棟の人になっていたのかもしれない。

別れを惜しむ間もなく、続けて新しい入居者が個室から移動させられてきた。今度は韓国人の32歳のキレイな女性キムさん。日本を旅行中に結核であることが分かって、1週間前に入院させられてしまったという。日本へは去年2週間来たことがあるだけで、今回が2度目の渡日だったらしく、何もかも分からない様子。でも日本語が少し話せるので、さっそく志村さんの話相手になっている。しかし、旅行中に結核病棟に入院させられてしまうなんて、なんて気の毒な。

Tuesday, November 24, 2009

16日目

薬を飲んでも湿疹のひどさ?に変わりが無いので、とりあえずもうちょっとがんばって内服を続けてみましょうということに。肝機能の値もちょっと上がってしまっているけれど、支障ない程度とのことだった。

やったー。がんばって飲み続けて早くA棟に移るぞと意気込むが、このことろA棟は満室が続いているらしく、たとえ排菌レベルが下がっても今は移る部屋がないという。

でもこの2週間目を境に、咳が減り、ようやく症状に変化が出てきたような気がする。身体に引き続き頑張っていただくために、できるだけベッドで安静にしなくてはということで、今日はお仕事もパス。

Monday, November 23, 2009

15日目

一日にいろいろな看護師さんが何回もやってくるのだけれど、皆、わたしの湿疹のことを知っている。夜勤の挨拶に来た看護師さんも「入院してちょうど2週間よね。出ちゃったか~」と言って、ハズレくじが出たみたいな顔をする。やっぱり2週間が分かれ目みたいだ。

今朝は回診だったので、ぞろぞろ先生たちも湿疹をチェック。お昼から湿疹用のネオマレルミンという飲み薬と、べナパスタという軟膏が処方された。

結核の薬をすぐに止めるべきかどうか迷う担当の先生。ジャッキー2になりたくないわたしは、もう1日飲んでみるほうに賛成し、今日は仕事もビデオも止めにしておとなしくベッドに転がる。

でも看護師さんたちは一様に、こりゃー結核の薬はたぶんいったん停止になるわねえと言う。そんなー。

14日目

手足の発疹が上半身に広がり、結構グロい。こういうの見てると、ぞわぞわしてよけい発疹が広がる気がするなあと思いつつ、怖いもの見たさで広がり具合をくまなくチェックする。

昨晩は39度の熱が出て、アイスノンを持ってきてもらった。食事も戻してしまってさんざんな一日。病棟長が状態を見に来てくれて、明日もう一度採血をすることになった。

ジャッキーさんによれば、彼女も薬を飲み始めてちょうど2週間目に発疹が出て、いっきに顔まで広がり、高熱が出た。ジャッキーさんは他に重い病気を抱えているので、結核の薬はいったん停止、その後2週間してから少しずつ薬を再開し、種類と量を増やしていってようやくもとの内服量まで戻ったのだそうだ。「もうすぐA棟に移れるってころになって発疹が出ちゃったのよねえ」という。そんなわけですっかりこの部屋の主になってしまっているらしい。

そのころ同室だった人も同じように発疹が出たのだけれど、彼女は手足にできただけで、かゆみ止めだけで済んだので、そのまま内服を続行し、予定通りA病棟に移っていったという。熱も発疹もまったく出ない元気なおばあさんもいて、その方はすでに退院されたらしい。薬がかなり強いので、受け止める身体のほうの状況で、その後が分かれてくるようだ。それでも全体的に熱を出す人は多いらしい。ちゃんと回収しないとアイスノンがすぐ足りなくなってしまうそうだ。

そんなわけで、日中のパソコンは2時間程度にして、おとなしくベッドに転がって過ごした。

Saturday, November 21, 2009

13日目

なんかカユイなあと思って見たら手足に発疹がわっと広がっていた。昨日は咳をたくさんした際に少し薬を戻してしまったし、身体が嫌がっているのかなあ。連休中なのでとりあえずかゆみ止めをもらって、先生が出てきてから判断してもらうことに。

そもそも今飲んでいる薬が効いているかどうかの結果もまだ出ていない。入院後、薬を飲みながら3日間痰の検査をしたのだが、それを培養すると分かるものらしい。

結核菌の薬にはいくつか種類があって、効果や副作用などを見ながら、その人にあった薬を決めていくのだそうだ。咳の回数は相変わらず。黄色い痰が減ってきたので、自覚症状的には少し良くなっているような気もするけれど、微妙。

発疹は食べ物のせいってこともあるのだろうか。病院によっては制限される場合もあるとかで、前の病院で聞いたときは、チーズや青魚に弱い人は蕁麻疹が出るかもしれないから控えたほうがいいというようなことを言われたが、今入院している病院ではまったく制限無く、青魚もがんがん出てくる。

昨日のお昼はヤキソバとパイナップル1列とシーザーサラダ。ドレッシングがビューッと布団まで飛び散って、あたりがすっかりシーザードレッシングの匂いになってしまった。
夜はメンチカツとほうれん草のピーナッツ和えとサトイモの含め煮と若竹汁。
今朝は青菜の煮浸しと、味付ツナ、カブの浅漬け。
お昼は牛肉とにんにくの芽のソテー、カリフラワーサラダとバナナ。
問題ありそうなもの、あるかしら。ドレッシングのチーズとかピーナッツとか?

Friday, November 20, 2009

12日目

世の中は連休に突入したけれど、病院は特に変わりない。仕事用のメーラーとかメッセンジャーを立ち上げていなくてもいいくらいかな。

連れ合いがスタバの抹茶ラテとともに本の差し入れを持ってきてくれたので、それを読んだり、ネットで昔のドラマを観て過ごす。

昨日から薬は自分で管理をするようになった。まずは2週間分の量の薬を渡されて、DOTの時間は、自分で飲む分を用意して看護師さんを待つ。

自宅に戻ってからもしばらく飲み続けなくてはならない薬なので、それぞれの名前と形状と副作用を覚えていきましょうねと言われる。リファンピシン、エサンブトール、イスコチン、ピラマイド、ピドキサール。副作用まで覚えるのかー。

鼻歌さんと志村さんもだいぶ仲良くなって、楽しく世間話をするようになった。穏やかに晴れた晩秋の一日。

Thursday, November 19, 2009

11日目

結核感染防止用にはN95レスピレーターというマスクを使用する。

検査入院をして結核と分かり、個室に移されたときから、わたしが会う人は全員がこのN95のおわん形のマスクを付けている。なので、以前からお目にかかったことがある人以外はことごとく顔が分からない。

この間も、ナースセンターに行き担当の看護師さんを呼んでもらおうと名前を告げたら、「わたしよ」と言われた。

ナースセンターの中では看護師さんたちは全員マスクを外している。マスクをつけていれば判別できるのに、外すと途端に誰だかわからなくなる。

結核病棟のエレベーターホールには外来者用に自動販売機も設置されている。 1つ200円なり。

Wednesday, November 18, 2009

10日目

85歳の元気なおばあさんが新しく入居してきた。快活でよく喋る。いつから入院したのか、自宅はどこか、結婚しているのか、この薬は何か・・と根掘り葉掘り聞いてまわるので、静かなフェアリールームの雰囲気が一転。全員から話を聞きだし、荷物の整理をしてしまうと、ベッドの上で大きな声で「はー。退屈だねえ」と言っている。おばあさんのかつらをかぶった志村けんみたいだ。

お風呂のあとに別室でドライヤーをかけていると、鼻歌さんがため息をつきながら寄ってきた。「わたしはああいうのが、だめなの。ほうっておいてほしいの。ご飯を食べようが残そうが、いつ食べ終わろうが、人の勝手じゃないの。ああいう年寄りだけにはなりたくないわよねえ」と、74歳になる鼻歌さんの大いなる憂鬱を聞きながら手を動かす。

話はいつの間にか、鼻歌さんが自宅に押し入った泥棒を捕まえた話になり、若い頃劇団に入っていた話になり、そしてまた入ったばかりの志村さんの話に戻り、もう一回泥棒の話が始まったところで、ドライヤー終了。

わたしと一緒にしぶしぶ部屋に戻った鼻歌さんが、カーテンをしゃーっと引いて、ほうっておいてちょうだいモードを出すも、志村さんはお構いなし。看護師さんに食事の量を確認されると、「鼻歌さんがぜーんぶ食べちゃったから、自分も負けずに食べようと思ったんだけどさ、あんな量食べられるわけないわ」などと言う。

それでも夜になると、志村さんも少し落ち着いて、静かになった。いつのもように鼻歌さんの鼻歌がカーテンの向うからちょっとだけ聞こえた。

担当の先生がふらっとやってきて、昨日の血液検査の結果、副作用として懸念される肝機能障害については今のところ問題ないと言われる。お薬が効いているかどうかは別の検査で測るらしい。気管支結核の場合は気管支の出口が狭くなってしまう可能性があるらしいけれど、これは仕方が無いのだとか。

Tuesday, November 17, 2009

9日目

保健所の担当者が病室を再訪。会議の結果、調査の必要な人が決まり、その連絡先などの確認だ。

同居している家族は10週を待たずにすぐに検査をすることになった。職場は担当区域の保健所に対応が任せられているため、その他のプライベートで接触のあった人のうち、調査の対象になった人たちの連絡先を教える。

人によって接触の度合いが違うので確認の方法も異なってくるけれど、リストアップされるのはおもに、頻繁にコンスタントに接していて、狭い空間や至近距離で合計7時間以上話をした人だ。

調査の結果、感染したおそれのある人には薬が処方される。6ヶ月間飲むことで発病が予防できるとのことだった。

もちろん同時に感染源の特定も進める。わたしの場合もヒアリングの結果、もっとも怪しいと思われるところを管轄している保健所と連絡を取り、状況を確認するとのことだった。

結核は感染しても発病しない場合も多いのだけれど、発病した場合は、感染から1~2年以内というのが9割なのだそうだ。つまりはわたしの場合も、まあそんなに遠くない日に感染者とディープな接触をしたことになる。

結核というと、白いマスクをした人たちが消毒の機械を持ってきて散布するイメージがあるけれど、結核菌は体内でないと生きられず、体外に出ると数時間から1,2日で死んでしまうことが今では分かっていて、いわゆる消毒作業は行わなくなったそうだ。太陽光線にも弱く、お日様にあたると死んでしまう。そういやここも日当たりが良すぎて、暑いくらいの部屋だ。

Monday, November 16, 2009

8日目

今朝は初めての教授回診があった。テレビなどでもお馴染みの、ぞろぞろ大人数で全病室を回り、一番偉い先生に症状を説明して回る儀式。たいていの大きな病院で見かけるけれど、担当の先生の説明も3行くらいに簡潔に早口でまとめなくてはならない雰囲気で、誰のためにやっているのかよく分からない。

付いてまわる看護師さんもいつもの人とは違って、移動際に保健所から言われている番号というものの確認をされるが、急に番号だけ言われても、何の話かまったく不明。どうもどの番号に指定されるかで公的な補助が変わってくるとかそのようなことらしい。後でまた来るといって足早に次の病室に移っていった。

結核の治療は公費により助成を受けることができる。治療入院の費用はほぼ全額支払ってもらえるようなので、申請書に記入し、手続きに必要な書類を取り寄せている最中だ。結核と診断されるまでの通院費用や、検査入院の費用はこの対象にならないようなので、個人で加入している保険会社にあたってもらっている。

保健所からは、正式な書類として、入院勧告書と、届出と就業制限の通知書を受け取った。

入院勧告書は「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律に基づく入院勧告」となっていて、いつからいつまでどの病院への入院を勧告するというもの。渡されたときは、すでに入院していたけれど、一応内容を読み上げて「入院を勧告します」とはっきり申し渡さなくてはならないものらしい。

届出と就業制限の通知書には、結核と診断した医師からの届出内容と、制限される就業種類と期間が示されていて、制限されている業務に従事した場合は罰金に処されることなどが付記されている。

昨夕に投げられてきたWEBサイトの確認作業も午前の1時間くらいで終わってしまった。あとはいつでもいいドキュメントの翻訳くらいしか作業が残っていないので、もっと仕事回してくれないかしら。

Sunday, November 15, 2009

7日目


屋上は気持ちよかった。ベンチがあちこちに設置してあり、日よけも雨よけもあり、人が入れ替わりたちかわりやってきていた。半分くらいは煙草を吸いに来ている人たち。運動不足解消のために、えっほえっほと歩き回っているお兄さんなども。




身体の空気を入れ替えてから、部屋に戻ってPCを開くと、ちょうどタイムリーな記事がフィードされてきた。

結核医療は「曲がり角」

日本の結核患者は昔と比べれば減っては来ているものの、先進国の中ではまだ高く、罹患率が10.0より高い「中まん延国」にあたる。いっぽう、結核医療への診療報酬は低く、赤字になってしまうため、政策として行うべき感染症対策であるにもかかわらず、結核病床の数が減っている。さらに、結核のことをよく知らない医師が増えてきており、つい先日も都内の大病院で診断がつかなかったために手遅れになってから専門病院に運ばれてきた20代の男性がいた、といった現状などが書かれてあった。

わたしの場合は難しい気管支結核ということもあって、診断がつくまで3ヶ月ほどかかったが、実際、一番年配の先生以外の呼吸器科の先生たちには結核であることは分からなかったし、紹介された都内の結核病床を持つ大病院にベッドの空きはなく、しばらく空きが出る見込みも無いと言われ、ほんの少しずつの違いだけで、決して他人事ではないことを感じる。

身体の空気を入れ替えたにもかかわらず、夕方から、わたしにしてはめずらしく、ひどい頭痛に見舞われる。ベッドの上でヨガを少しだけやって早寝。深夜目が覚めたときはすっかり頭痛は取れていたけれど、その後も泥のような睡魔に引きずり込まれ、結局12時間くらい眠ることに。何もしていないのに日々体調が変化するなあ。

Saturday, November 14, 2009

6日目

入院して初めての快晴。屋上にも出ていいのだけれど、日焼け止めを塗るのが面倒なので、ぽかぽか陽のあたるベッドで入院直前に買った本を2冊いっき読み。どちらも話題になっていた日本の小説で、どちらも同じようにいまいちだった。

しかし何にも邪魔されずに没頭して読める時間というのは久しぶり。普通の生活だとこれだけまとまって好きにつかっていい時間というのは取れない。はっと気づくと電車で乗り過ごしていたり、買い物に行く時間を過ぎていたり、なんらかの弊害があるので、常に「やばい!」という意識とともに現実に引き戻される。

今日は鼻歌さんが、お薬の効果が出てきたということで、1Fの売店とお庭の散歩を許可されていた。鼻歌さんは昨夜は熱が出ていてふんふん言いながらアイスノンをもらっていたけれど、痰の中の菌が減ればとりあえず行動範囲は広がっていくらしい。

わたしも薬を飲み始めてからは微熱がしょっちゅう出るようになった。結核の症状の一つに微熱があるけれど、内服を開始するまでは無かったのでやっぱり薬を飲んでいることによる熱なのではないかと思う。せいぜい7度1分とか5分とかなのだけれど、朝も夕方も結構な確率で熱がある。それと、薬を飲み始めてから面白いことに、痰を出したときに薬の匂いがするようになった。体の中でいろいろ変化が起きているのだろうな。

病院の敷地にはたくさん木が生えている。うっすら色づき始めた木々が窓の向うに広がっている。やっぱり日焼け止めを塗って外の空気を吸いに行ってこよう。

Friday, November 13, 2009

5日目

一日のスケジュールはこんな風になっている。
起床は6時から7時の間。朝食7時50分。昼食11時50分。昼食後薬を飲む。検温14時。夕食18時。消灯21時。

朝食と昼食の間が狭い。しかも朝からがっつりご飯なので正直お昼になってもまだお腹一杯という感じだが、今朝のジャッキーさんは朝ごはんの後におせんべいをばりばり食べている。元気だなあ。

ちなみに食事は2パターンあって、好きなほうを前の週に選べる仕組みになっている。3食ご飯ということも多いので、麺とかパンがあるときは極力選ぶようにしてみた。昨日は栄養士さんが好き嫌いなどのヒアリングにやってきた。好き嫌いはないし、今のところ全部食べてますと答えると、病院食なので美味しくないと思うけれど、体力をつけるためにとにかく全部食べるようにと言われる。

今朝は初めて7時30分くらいまでグーグー寝てしまった。目をしょぼしょぼさせながら洗面所に向かう。昨日は10時半頃には寝ていたので9時間近く寝たことになる。日中身体を動かしていなくてこれだけぐっすり眠れるというのは、やっぱり薬を飲んでいるせいなのだろうなと思う。今飲んでいる薬のいろいろな副作用のうち、特に肝機能障害と視力障害が出やすいそうなので、注意が必要だ。

朝ごはんの後は、ゴミを捨てに行ったり身支度を整えたりとやることが少しあるけれど、9時過ぎぐらいからはひたすらパソコンに向かう。ニュースを読んだり無料動画サイトで見逃したドラマを見たり、mixiで畑や動物の世話をしたり。

紅茶を入れに行ったついでに、B棟の男女の人数を数えてみた。比率にすると男性対女性は7対3だった。ほらやっぱりー。ググってみると、結核に感染する率はほぼ同じなのに、発病は男性が女性の2倍あると書いてあった。免疫力の低下する老人が多いという。結核というと、これまではうら若き可憐な女性というイメージがあったけれど、真逆ってことなのね。

Thursday, November 12, 2009

4日目

イーモバイルのお陰で、病院暮らしもストレス無く過ごせている。以前手術で入院したときは、テレビと本しか無かったので、同室の人とお喋りばかりしていたけれど、今回はネットができるので仕事も少ししている。

わたしのお隣のベッドは今のところ空いていて、同じ部屋にはあと2名の女性がいる。

ひとりは大人しい上品な話し方をする70歳くらいのおば様で、いつもニコニコしている。穏やかで読書をしたりときどき鼻歌なんかも歌っている。でもたまに天使の羽が生えてしまうようで、そんなときは、廊下の向こうの洗面所は「通りの向うのプール」とかになる。

もうひとりは、ナイトメア・ビフォア・クリスマスのジャック(サリーじゃない)を女性にして、産毛のひげをたくさん生やした感じのとても個性的な風貌のおば様だ。トイレで用を足してドアを開けたときに、ジャッキーさんが目の前に立っていたので、思わず「ひぃっっっ」と叫び声をあげてしまった。でも話をすると気さくな人で、見た目の10分の1も怖くない。

そんなこんなのフェアリールームだけれど、静かで無駄に干渉されないので意外と快適だ。

看護師さんは担当と担当の人が所属するチームに分かれていて、担当の人がいないときはチームの人がカバーしてくれることになっている。お医者様も看護師さんたちも、全員がマスクをしていて顔を見たことが無いから、外で会ってもきっと分からないだろうな。

Wednesday, November 11, 2009

3日目

初めての朝。少し院内の様子にもなれてきた。歩き回ってみると、Bエリアのエントランスの奥に別のドアで区切られている病棟があることが分かった。看護師さんの話では、ここはICUエリアで、特に重症の患者さんや徘徊をする人などが入るとのことだった。

結核菌は薬への耐性がつきやすく、途中で薬を飲まなくなったりすると薬が効かなくなり、重症化する場合がある。さらに世界では「すべての抗菌剤が効かない広範囲薬剤耐性の結核菌」というのも見つかっていて、非常にオソロシイ状況を引き起こしかねない。

このため、薬の内服に対する管理は厳しく、病院では対面内服療法(DOT)という看護師さんの目の前で薬を服用する方法をとっている。ちなみにDOT(S)とは「Directly Observed Treatment, Short-course」という、1993年にWHOが「結核の非常事態宣言」に基づき新戦略として掲げた総合的な結核対策のひとつだ。

そういうわけで、看護師さんに一挙一動を監視されながら、現在服用しているのは、リファンピシン(150mg4カプセル)、エサンブトール(250mg4錠)、イスコチン(100mg3錠)、ピラマイド(1.5g1袋)と、副作用を軽減するためのピドキサールというビタミン剤の5種類。各自に投薬手帳が支給され、これに内服状況が記録されていく。

今日は保健所の人も尋ねてきて、1時間以上かけて、発病から現在までに至る経過と、その間の人々との接触状況を大変細かくヒアリングされた。結核に感染したかどうかは血液検査をすれば分かるとのことで、これから保健所内で会議が開かれ、誰に検査を受けてもらうかを決定するそうだ。
ただし、検査を受けることができるのは、保健所かわたしが入院している病院のどちらかに限定され、最後の接触から10週間以上が過ぎてからになるという。

2日目

朝から荷物をつめなおしていると、予定通り9時半ごろ保健所から確認の連絡がきた。〆切真っ最中の連れ合いに頼んで、スーツケース2個を車に詰め込み、病院まで送ってもらう。

長々と検査をしてから入院の手続きを行い、売店でお昼のお弁当を買って病室に上がる。これからしばらくは雲の上の人に。たとえ頑丈なマスクをしても1Fの売店には行くことは許されない。

フロアー専任の看護師さんとドクターによるオリエンテーションの後、荷物の整理もそこそこに結核について勉強するビデオと、入院生活の説明ビデオの上映会に参加。わたしのほかには男性が4名いた。20~30代が2名、残りの2名は50歳代あたり。1週間に一度の上映会なので、参加者は1週間以内に入院した人たちということになる。

病棟はナースステーションを挟んでAとBの2つのエリアに分かれていて、それぞれ2重のガラスの折りたたみ式自動ドアがついている。わたしが入室したのはBエリアで、入院してまもない、菌をたくさん撒き散らしている人々が暮らす場所だ。ここで3週間ほど薬を飲み、排菌レベルが下がると、晴れてAエリアに移動となる。

それから段階的に、マスク着用の条件下で、1Fの売店まで降りることができたり、庭園の散歩などが許されるようになる。事情によっては外出や外泊も認められる。1Fでコーヒーを買って上がってきているAエリアの人を目撃。いいなあ。

いっさい買い物ができないBエリアの人たちのために、売店で買える物一覧表が共有スペースに設置されていて、週に3日、注文書に記入しておくと、デリバリしてくれる仕組みになっている。落ち着いたらじっくりリストを見てみよう。

初の食事はさばの味噌煮定食だった。見た目は非常にしょぼいけれど、意外と味がいい。長く滞在するので、これは結構重要なポイント。それにしても廊下を歩いているのは若い男子が多い。若い男子だからじっとしていられなくて歩き回っているだけなのか、比率が多いのかは不明。そしてなぜだか若い女子には巡り合わない。

夕食後、明日の検査などの説明を受けてから、マイスペースの整理をする。4人部屋にしては、一人当たりの空間が広い。

結核の治療は、基本的には一日1回大量の薬を飲み、あとは付随した検査をチョコチョコ行っていくだけだ。なので、病院特有のアルコールの匂いとか、機械音とかのざわついた感じがなく、点滴つけて歩いている人もこのフロアーに限ってはいない。共有スペースには映画などのビデオや書籍が置いてある。

お風呂に入って戻ってきたら、まだ8時前だというのに部屋は消灯に。起床は6時から7時の間で、朝ごはんは7時50分の予定。こんなに早くから寝たら、3時ごろ起きちゃうじゃないか。それとも薬を飲み続けていくと、たっぷり睡眠が必要になっていくのだろうか。

治療1日目

朝一番で都内の指定病院へ紹介状を持って診察に。レントゲン、血液、痰の検査。1時間くらいで検査結果が出る。

結果が出たところで案の定個室に隔離され、マスクをした先生がカルテを持って登場。
これから内服していく薬の説明と、ベッドが空いていないので自宅待機をしばらくしてもらうと言われる。

お昼を食べて大量の薬を飲む。薬剤師の人にこれを飲むと尿が赤くなるので驚かないようにと言われれたが、ホントに鮮やかな朱色でたじろぐ。涙も赤くなるらしい。

自宅に戻り、隔離部屋を作って万全の体制に。保健所の人にしばらく自宅待機になったことを連絡すると、それはまずい(感染者を野放しにしておけない)と、ベッドの空いている病院を探してくれることになった。

まもなく、自宅から車で30分もかからない場所に2箇所、結核病床のある病院があり、ベッドの空きがあることが判明。今夜にでも入院と言われ、慌てて荷物をパッキングし始める。が、ドクターが帰宅してしまったため、やっぱり翌日入院ということに。保健所もバタバタだ。

いずれにせよもう時間が無いわけなので、マスクをしてイーモバイルをヨドバシに買いに走る。ついでに本も数冊仕入れて、戻って夕食を食べてから、急ぎの仕事を片付けて、髪を染めて、イーモバイルが繋がることだけ確認して、なんとか就寝。

Monday, November 9, 2009

ことの起こり

入院する日から数えて5ヵ月半前のある日、テレビを見ながらリビングで突然強く咳込んだときのことを覚えている。古い痰のような饐えた匂いがして「なんだろう、変だな」と思った。

それから軽く咳き込むようになり、頻度が増していき、2ヶ月経ってもなくならず「花粉症にしては長いし、おかしい」と思い始め、翌月の健康診断で症状を訴えたところCTスキャンを撮ることになり、肺に影が見つかった。

影ができていたのは右肺の後ろの一番下。「肺結核の場合は肺の上部に影ができるからおそらく結核ではないし、形状から見ると癌でもない。極めて近いのは肺炎のなごりのような影」と、この段階では診断され、咳が出始める少し前に原因不明の高熱を出していたので、それが実は肺炎で、結果、気管支拡張症になったのかもしれないと、それから2ヶ月ほど抗生物質と経過観察などによる治療を行うことになる。

しかしなかなか良くならず、再度CTスキャンをとったところさらに悪化していたため、気管支鏡検査を行い、潰瘍が見つかって、所見から気管支結核であることが分かった。

気管支結核は、肺結核とは影ができる場所が異なり、病巣が見つからないケースもあって、診断が難しいとされている。症状が進むと、気管支が狭くなり、肺に空気が送られないこともある。肺結核に比べて症例が少ないため、気管支鏡検査で潰瘍が見つかった段階では、若い先生たちには結核であることが分からなかったそうである。

ちなみに検査中は、病んでいるほうの気管支に咳止めを注入したときに息が吸えずに一瞬パニックに陥ったが、基本的に気管支鏡検査は、気管支が狭くなっているなどの異常がなければ痛くもなく、苦しくもない。スプレーで咽喉に麻酔薬を吹き付けるため、これに20分くらいかかるが、検査自体は30分もかからなかったと思う。

検査の結果、わたしはガフキー4号というレベルであることが分かった。ガフキーとは抗酸菌の菌数を表示する方法で、0~10までの11段階に分かれている。ちなみに抗酸菌とは結核菌が属しているもっと大括りの分類にあたるもので、結核ではない非結核性抗酸菌という種類も含まれている。ガフキー0号であれば周囲の人がうつる心配は無くなるので、まずはこのレベルを目指して、入院治療を行わなくてはならない。

結核と分かった瞬間から、いやおうなしに個室に移された。1泊の検査入院費用は10万。結核は専用の病床がある病院でないと治療入院ができないため、それからすぐに紹介状を持って指定病院の門をくぐることになった。結核菌が検出されると、病院は保健所への通知義務が発生し、ここから保健所も一緒になって動くことになる。